A Story of ColorsOfJapanKyoto 第0回

ColorsOfJapanKyotoのサイトへようこそ!

 はじめまして。サイト運営をしています、千島 大介(チシマ ダイスケ)と申します。

 こちらのBlogではなかなか商品ページではご説明しきれないこのサイト自体の説明(なりたち)や参加頂いている作りてさん達について書かせて頂く場にしようと考えています。

 今回はColorsOfJapanKyotoを始めるまでのことを書こうと思い第0回めとしました。僕、千島がどうしてこのサイトを始めたのか。少し自分語りになってしまいます。長いですがどうか、お許しを。

はじめた理由

 僕は関東のとある田舎で生まれ、就職とともに東京へ引っ越し12年ほど暮らした後、独立しました。独立のきっかけは2011年の震災です。当時僕は東京郊外の大型小売販売店に社員として勤務していました。震災時はその店舗におり、帰宅難民、その後の計画停電や物資不足を経験しました。当時勤務していた店舗は計画停電中のみ営業を止め、それ以外は営業をし続けました。計画停電の時間中、スタッフさんや社員は待機しながら震災のニュースをながす小さな携帯テレビを無言で見つめる、そんな日々でした。

 被災地にすぐにでもなにかしたい。でも会社組織に属している以上店舗に出勤し日々の営業をし続けなければいけない。それでも自分ができることはなにかないだろうか。そんな思いをずっと持ち続けていました。

 そんな中、あるニュース番組で津波で全て流されてしまったものづくりの職人さんがインタビューされているのを見ました。なんとか生き残ったものの、機械も作業所も失った為長く続けてきた職人としての仕事はおそらくもうできない。

 それがきっかけでした。

 そんな職人さんを助けたい。いつかまたものづくりが再開できるようになにかお手伝いできたら。そして、作り上げたものを世界に向け発信したい。日本はこんなに元気になったよ、と言えるようになりたい。

 とはいえ、僕には何もありませんでした。つても知識も経験も、お金も。どうやって始めば良いのかも皆目わかりません。どうやって外国に日本のものを紹介すれば良いのか?会社を辞めることの不安もかなりありました。

 いろいろ悩みつつ日々の仕事に追われて結局、震災から独立まで二年半かかりました。 

 独立してまず行ったのは、海外のショッピングモールサイトに日本のものを出品して売れるか試すことと、そこで世界のお客様への対応を学ぶことでした。またその学びの時間の期限を3年と設定しました。この間だいたい9千件ほど、世界中に発送を行いました。ときには大きなクレームを頂いたり、感謝のお手紙を頂いたり、と様々な事があり少しづつ経験を積みました。

 並行して職人さんとつながる方法も考えつづけました。

 けれど、まだまだ実績もない(ついでにいうとお金もない)僕がいきなり信用されるわけがありません。どこかで実績をつくらないと。

 そんな折、ふと思いついたのが京都でした。それまでいろいろ調べているなかで、小商いを始め易くものづくりの職人さんが様々な規模でおおぜいいる街。ザ・日本文化として世界に向けてわかりやすく、それ自体がブランディングされている街。そこで立ち上げることができれば、一つ大きな実績となるのでは?

 そうして独立から三年後、京都へ移住したのでした。

 更にそこから準備に一年ほど掛け、その準備期間中に京都で暮らす中で運良く知り合った様々なものづくりの作りてさんにお願いしてサイトに参加頂き

 2017年6月、京都在住の作りてさんに特化した海外向けショッピングサイトColorsOfJapanKyotoをオープンしました。だいぶ大きく回り道をしながらですが少しづつすこしづつ進んでいます。僕ができる、いまはこれが精一杯です。

 かなり長くなりましたので今回はここまでで。最後までお読み頂きありがとうございました。

 ようやく始まったColorsOfJapanKyoto。次回からそのこだわりについて書かせて頂きたいと思います。